雑記① 日記を書く意味

雑記

このブログは日々の出来事を書くために始めたわけでは無いけど、
日記は人にとって大事だなと、歳を取ってから思ってきた。

日記と聞いてもっとも思い出すのは、祖父が毎日かかさず日記を書いていたという事。
1年分が1冊でかける日記帳に、毎日1ページ、祖父しか読めない癖の強い字で日記を書いていた。
もうずいぶん前に亡くなったけど、日記帳は何十冊もあったので、若い頃から書いてたのだと思う。

これを見ていた当時のまぐろは、まあマメに書くもんだなと思ったくらいで、
日記なんて小学生の時の夏休みの宿題で書いたくらいだったし、むしろ面倒なもんだと思ってた。

それで最近なんで日記が大事だなと思ったかというと、皆さんも考えてみてほしいのだけど、
例えば、1年前って何をしてたか、何を食べてたか、何を思ってたか、思い出せますか?
特別な日であったり、印象的な出来事があれば思い出せると思うけど、その程度だし、
もっと昔のことになれば、さらに記憶はあいまいになっていると思う。

そう考えた時に記録がないことがとても勿体ないと思ってしまった。

日記と書いているけど、写真でもビデオでもSNS投稿でもいい。
とにかく自分がその時に、素晴らしいと感じたことや、おいしいと思ったこと、
家族や友人と過ごして楽しかったことを忘れてしまったら、それは無かったのと同じことだと思う。

すでに、小中学校、高校の時の記憶なんかは、大きなイベントを除けばほぼ無くて、
親の撮ってくれた写真などが、記憶を補完してくれている程度。

将来、自分の人生を振り返った時に、何もない人生はとても悲しい。
当然何もない人生なんかは、誰しもにとってもありえないことなんだけど、
何をしてきたかがよくわからない人生は、何もない人生にわりと近い状態であると思う。

という事で、まぐろは毎日の記録を残すことを始めた。
しっかりとした日記は、自分の性質的にたぶん続かないので、
最低限、会った人や行った場所やお店をメモって、数十文字程度の感想を書くようにした。

今の時点でも1年前って何やってたんだろとか見てみると結構おもしろいし、
これが数年・数十年経った時には、きっと素晴らしい記録の宝物になっていると信じている。

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